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いかりや長介

「ザ・ドリフターズ」のリーダー、コメディアンで俳優のいかりや長介(いかりや・ちょうすけ、本名碇矢長一=いかりや・ちょういち)さんが20日午後3時30分、死去した。72歳だった。
 東京・本所生まれ。高校を中退後、職を転々とした。アマチュアのハワイアンバンドのベース奏者になったことがきっかけで芸能界へ。
 62年、加藤茶、小野ヤスシらと共にウエスタンとロックをこなすバンド「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」に加わった。その後、一部のメンバーが独自の活動を始めたため、64年に仲本工事、高木ブー、荒井注を加えて「ザ・ドリフターズ」を再結成した。日本テレビの「ホイホイ・ミュージック・スクール」でデビューし、楽器を使ったギャグでパンチのある笑いを送り出した。
 67年春、TBSの「ザ・ドリフターズ・ドン」に出演。69年、生中継番組「8時だヨ! 全員集合」がスタートした。大がかりな舞台装置と体当たりのギャグが子どもたちの圧倒的な支持を受け、「お化け番組」の異名を残した。同時に、「食べ物を粗末にする」といった批判や、ストリップまがいの踊りなどで「俗悪番組」とも呼ばれた。
http://www.asahi.com/obituaries/update/0320/003.html

 持ちネタの「ベスト100」や、加藤茶がハナ肇をパクりいろんな場所をスティックで叩きながら前へ出てくる姿を、往時オレは演芸番組で見ている。「8時だヨ」の少し前だ。どことなく危なっかしくて、こなれてない感じ。そんな印象だった。
 彼らの当時の雰囲気はむしろ映画のほうによく表れていたのではないか、と思う。チンピラっぽさ、アナーキーさ、そういう泥臭く、スノッブなムードが強い。70年代の言葉を借りれば「パンキッシュ」ですらある。
「8時だヨ!全員集合」も後期に入って、マルクス兄弟の鏡のコントが出てきたりして、おやっ?と思ったことがあったが、「東村山音頭」で志村が局部に白鳥を付けたのがきっかけとなり、番組を見なくなった。あれはテレビの芸ではないと思った。うわさに聞いた「ヒゲダンス」は見なくてよかったと思った。
「ひょうきん族」も見たいとは思わなかったので、その時分、オレと時代の笑いのセンスが分裂したということだろう。
「全員集合」の末期、オレは美術スタッフの一員としてそのセットの「建て込み」や「ばらし」を行なった。そのころになると渋谷公会堂より、日本青年館が多かった。
それすらもう大昔のことになった。

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