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2005年01月30日

本格的R&Bバンドでありながら「長い髪の少女」。それがGS。

G・カップス 一夜限りライブ

 日本初の本格的R&Bバンド「ザ・ゴールデン・カップス」のメンバーが29日、バンドの“発祥の地”となった横浜市本牧のクラブ「ゴールデンカップ」に集結。一夜限りのスペシャルライブを行った。同所にオリジナルメンバーがそろうのは38年ぶり。亡くなったケネス伊東を除くデイヴ平尾、ミッキー吉野、エディ藩、マモル・マヌー、ルイズルイス加部が名曲「長い髪の少女」などを披露すると、100人のファンは大興奮。平尾は「本当に感極まっております」とあいさつした。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050130-00000009-dal-ent

「ザ・ゴールデン・カップス」はあの時代のものだった、と思います。
それでいいんですよ。だから「わぁー懐かしい」でいいんです。

2005年01月27日

北原謙二逝く

「若いふたり」歌手の北原謙二さんが死去

 北原謙二氏(きたはら・けんじ、本名・謙太郎=けんたろう=歌手)26日、虚血性心疾患で死去。65歳。
 大阪のジャズ喫茶で歌っていたところをスカウトされ、1961年に「日暮れの小径」でデビュー。「若いふたり」「ふるさとのはなしをしよう」などのヒットを飛ばした。91年に脳内出血で倒れたが、懸命のリハビリの末、5年後にカムバックした。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050127-00000407-yom-soci

舟木一夫が出るまでは絶大なる人気がありました。
『北風(ノース・ウィンド)』を歌ってるくらいですから声質はたしかにカントリー系なんですが、歌唱法はロカビリー以前の、父親世代の流れを汲む人でした。
ヒットしなかった曲に、面白いのがたくさんあるんですよね。

フォーク歌手ひき逃げで建設業の男を逮捕

 東京都足立区で昨年10月、フォーク歌手山平和彦さん(52)がひき逃げされ、死亡した事件で、警視庁交通捜査課と竹の塚署は27日、業務上過失致死と道交法違反(ひき逃げ)の疑いで、台東区竜泉の建設業の男(52)を逮捕した。 (中略)
 山平さんは秋田県出身。1969年ごろから音楽活動を始め「放送禁止歌」など社会性の強い作品が話題を集めたが、76年に引退。2001年ごろから活動を再開していた。
http://www.zakzak.co.jp/top/2005_01/t2005012727.html

天網恢恢、犯人逮捕、山平和彦、破顔微笑。

2005年01月26日

オペラ横尾忠則を歌う

「オペラ横尾忠則を歌う」 60年代の熱気を復刻

 画家の横尾忠則さん(68)と作曲家の一柳慧(とし)さん(71)が1969年に制作した2枚組みのレコード作品「一柳慧作曲 オペラ横尾忠則を歌う」が2月3日、LPサイズのCDボックスとして35年ぶりに復刻される。ジャケットとレコードには極彩色のイラストが描かれ、60年代文化の熱気を生々しく伝えている。
http://www.asahi.com/offtime/music/TKY200501260238.html

税込み9800円。問い合わせはブリッジ(電話03・3710・8049)。

聞いて面白いかどうかは別として、とりあえず買っときたい品です。

2005年01月25日

ヤクザ・ムービー

ボーイ・ジョージも参加…津波被害救援の歌発売

 「グリーフ・ネバー・グローズ・オールド」
 英国の人気ポップ歌手クリフ・リチャードさんらが、スマトラ沖地震の津波被害救援募金のために発表したバラード曲「グリーフ・ネバー・グローズ・オールド」のシングル盤が24日、英国で発売された。
 曲名は「悲しみは消えない」という意味で、英PA通信などによると、英ラジオの元ディスクジョッキーが被災者らの悲しみを題材に作詞。英ミュージシャンのボーイ・ジョージさんらも参加しており、200万ポンド(約3億9000万円)の寄付を目指している。
 2月には歌手のエルトン・ジョンさんやロッド・スチュワートさんらが別の救援ソングの発売を予定しているという。
http://www.zakzak.co.jp/gei/2005_01/g2005012511.html

そういえばアイ・ジョージ氏の話はその後どうなったんでしょう。
週刊ポスト2004年12月24日号、
『摘出スクープ アイ・ジョージ「2億5000万円チャリティCD」の大トラブル』
アイ・ジョージ氏はラテンの人ですが、世代的にはクリフ・リチャードやジョニー・アリディと同じじゃないですかね。音頭取りは業界全体に影響力のある人じゃないとやはり難しいかもしれません。

The Yakuza Movie Book : A Guide to Japanese Gangster Films
by Mark Schilling
日本のヤクザ映画に関する洋書が出てるようです。

The BLOG Shirt
ブログTシャツ $16.99。ドーデスカ?

ラブロックです・・・ゾンビの役も受けてしまいましたぁ!

お笑い芸人ヒロシが使っているBGMは、1969年のイタリア映画『ガラスの部屋』(監督:セルジオ・カポーニャ)の主題歌(Che vuole questa musica stasera)で、歌ってるのはカンツォーネ歌手ペピーノ・ガリアルディ(Peppino Gagliardi)。作詞はガエターノ・アメンドーラ、作曲は映画で音楽を担当したロベルト・ムローロでした。
主演したレイモンド・ラブロック(Raymond Lovelock)は今で云う超イケメン、まるで少女漫画の中から抜け出たような美少年キャラの人でしたが、どういうわけか日本での人気はごく短期間(1970〜71年)でしたね。作品でいうと『火の森』(70年)、『ガラスの旅』(71年)あたりまででしょう。
雑誌『an・an』の表紙にもなってたから、人気に乗じて来日してたかも。(あたしゃ憶えてませんが)
そうこうしてるうち「マーク・レスター旋風」が吹き荒れて、彼の人気は過去のものとなりました。
その後は脱アイドル路線で『悪魔の墓場』(74年)、『カサンドラ・クロス』(76年)、『白昼の暴行魔』(77年)なんかに汚れ役で出てましたっけ。


¶postscript―*

テレビ朝日『笑いの金メダル』

9月9日(金)21:00〜21:54
感動ヒロシ・イタリアの旅名曲あの人と涙の抱擁
「投稿あなたもヒロシ」の海外スペシャル版、出張ヒロシの第5弾。ヒロシがイタリアを訪ねる。これまでに行ったアジア諸国では、面白い看板が目に付いたが、イタリアの街並みにはアジアの国々とは違う光景があった。とんでもない車やある日本語が書かれたTシャツなどを見掛ける。ローマのカフェでは、ヒロシがあこがれの人物と遭遇。その人物と夢にまでみた共演を果たす。さらにボローニャなどを巡り、面白いものを探して歩く。
http://tv.yahoo.co.jp/bin/search?id=34995306&area=tokyo

なんとヒロシがイタリアロケでペピーノ・ガリアルディと対面。面白いことになってます。
(2005年9月9日)

2005年01月23日

駒沢オリンピック公園であの日の歓声を聞いた……かもネ

あの時代を偲ぶよすがを求め、自転車で駒沢通りを一路南西へこぎ出しました。
東急東横線の高架をくぐったあたりで、懐かしのサマンサがお出迎え。

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魔法のように美しくなるリフォームのようです。
柿の木坂を過ぎたころから急に木が多くなり、武蔵野の面影が現れます。とともに高級マンションもあちらこちらに見えてきます。
下り側は道路工事が多く、歩道がふさがれてるところがたくさんありました。
警備員がやたらに目立つ住宅展示場を横目に見ながらペダルをこいでたら、いきなりステキな標示に出ッくわしました。

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「自由通り」。いい名前です。ただしこの「自由通り」、道幅がやたらに狭く、どっちかっていうと不自由な感じです。
この交差点から駒沢陸上競技場がすぐ目の前に見えます。駒沢通りから右折し「第一駐車場」前を通過して(写真下)、いよいよ都立駒沢オリンピック公園に入ります。

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ずいぶん狭い入口です。まるでご町内の空き地に作られた児童公園の入口みたいです。いいのかな、こっから入って……。
案内板がありました。私が今いる場所はこの図でいうと一番下の中央チョイ右です。ほぉー、サイクリングコースがあるんですね。赤い線で書かれているとこがそれです。全長約2・1kmの周回コースだそうです。イヤ、来た甲斐がありました。ではさっそく行ってみましょう。

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入ってすぐに環状道路とぶつかりました。どうやらそこは「大刈込」という地点らしいのですが、どこの何をどう刈り込んでるのか、よく分かりませんでした。
路面を見ると駐車禁止みたいに赤くなってるレーンがサイクリング専用(左回りに一方通行)、そのとなりがジョギングコースのようです。

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写真にはたまたま写ってませんが、日曜日だけあって走ってる人、けっこういましたよ。
自転車は逆に少ないですね。
時たまローラーブレードを履いた若い人が、どっちか空いてるコースをブッ飛ばしていきます。すごいスピードです。

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コースに沿って走っていると、急に小さなトンネルの下に入りました。なんか昔っぽいな、こういうの。

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「補助競技場」があるあたり、右側に早咲きの梅を見つけました。紅白そろってます。
これは結構有名らしい。

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さらに行くと花壇がありました。その先に「憩いの池」というのがあるらしいのですが、今日はパスしました。
そりゃそうとなんだか急に寒くなってきましたよ。

「チリリンコース付属練習場」という施設のへんから左カーブがきつくなります。
あ…「弓道場」がありますね。そういやさっき「自由通り」で弓らしき物を持った女性とすれ違いましたっけ。
・・・と、サイクリングコースが左へはずれ、上り坂になりました。コースの幅も狭くなります。なにかこう花やしきのジェットコースターみたいな、チープなスリルが味わえそうな雰囲気です。

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左へ急カーブする坂を登っていくと、右約7〜8m下に駒沢通り(切通しだったんですね)、左側には「プール」が現れました。
このプールはしかしオリンピック競技じゃ使われなかったんじゃないかな? かなりちゃっちいムードです。
「撮影禁止」の表示を無視してシャッターを切りました。使ってないときぐらい写したっていいでしょ?

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狭いコースをそのまままっすぐ行ったら、駒沢通りを跨ぐ大きな陸橋にぶつかりました。コースは陸橋に沿って、右へ直角に曲がってます。
この地点は見晴らしがよく、「中央広場」が一望できます。
東に向かって立ち、右を見れば「屋内球技場」が、
左には五重塔みたいな管制塔と、一度見たら忘れられない「陸上競技場」西側部分の花弁状アーチが見えます。

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実のところこの塔と花弁状アーチは現在に至るもあまり評判が良くないらしいのです。確かにどっかの社会主義国の建物みたいに見えます。あるいは巨大宗教施設みたいな……。

陸橋を超えてオリンピック公園の南側エリアに入りました。ここからは公園の一番外側をぐるりと周るコースとなります。
「屋内球技場」奥のグラウンド(第一球技場)を過ぎ、テニスコートの角を周ったあたりは、まるで林の中を通り抜けてる雰囲気です。

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その先の“最終カーブ”を曲がると「自由通り」と平行になり、出発点の「大刈込」へ一直線です。
左手に「陸上競技場」東側部分が見えます。予算の関係からかどうかは知りませんが花弁状アーチはついてませんね。

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ということで、オリンピック公園を一周するサイクリングコースもこれにてお終い、めでたくゴールと相成りました。
いったん公園の外へ出て、駒沢通りを陸橋の真下まで行ってみると、ここもなかなか景色が宜しゅうございますヨ。

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通りから中央広場までは登り階段になってます。こんなに広い階段はなかなかお目にかかれません。

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広場の右に例の「陸上競技場」西側の花弁状アーチ。

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中央奥に「管制塔」。さすがに賽銭箱はアリマセンでした。

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管制塔の下は池になってます。東京五輪の時にはこの池の中に聖火台があり火がともっていたんですよね。

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それにしても急に冷え込んできました。なんだ、この寒さは……
気がつくと、なんだかポツリポツリと、、、あ、雪だ!


途中、丸正目黒五本木店に寄り夕食の材料を仕入れて、帰りました。

がめつい奴

ばんばひろふみ:女性問題が原因で平山みきと離婚

 歌手のばんばひろふみ(54)と平山みき(55)夫妻が28年の結婚生活にピリオドを打っていたことが22日分かった。
http://www.mainichi-msn.co.jp/geinou/wadai/news/m20050123spn00m200004000c.html

芸能人同士だったら、むしろ添い遂げる方が珍しンじゃないの?
しかし熟年離婚の原因が夫の浮気じゃ、イマイチ面白みに欠けますなァ。

実録「がめつい奴」 モデル女性経営のアパート管理会社、3億円所得隠す

 菊田一夫原作の「がめつい奴」のモデルとして知られる大田はるさん(90)が経営するアパート管理会社が、大阪国税局の税務調査を受け、約三億一千万円の所得隠しを指摘されていたことが二十二日、分かった。「がめつい奴」は、大阪西成区の通称あいりん地区で女主人公が経営する宿泊施設を舞台にした人情ドラマ。また、これ以外にも同地区にある簡易宿泊施設やアパートの個人事業者で少なくとも三人、計二億円以上の所得隠しも見つかっており、大阪国税局は今後、同地区の宿泊施設の経理の解明を進めていく。
 大阪国税局の税務調査が入ったのは、大阪市西成区萩之茶屋三のアパート「東萩荘」「カトレアハイツ」「グリーンハイツ」を運営、大田さんが経営している「エイチ・オー」。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050123-00000019-san-soci

「がめつい奴」は菊田一夫。「図々しい奴」は柴田錬三郎。「どてらい奴」は花登筺。

2005年01月20日

あの時代への恋慕の情、已みがたし

050120_01.jpg徳間書店刊、森永卓郎著『「所得半減」経済学 「昭和30年代」に学ぶしあわせ術』1400円。
サブタイトルにあるとおり、経済問題そのものよりも生き方論・人生論にウェートを置いた内容になってます。
この人の予言する「年収300万円時代」が来るかどうかは知りませんが、「昭和30年代」の生活感覚に戻ろうというメッセージにはシンパシーを感じますね。きっと同年代だからでしょう。

2005年01月19日

元ロカビリー歌手の人形師

050119_01.jpg講談社現代新書1633 四谷シモン著『人形作家』880円+税。
2002年11月発行。
著名な人形作家四谷シモンさんが元ロカビリー歌手だったことは以前より知ってましたが、具体的な情報がありませんでした。
今日、本屋でたまたまこの書を見つけて、即購入。佐々木功の前座バンド「ロリポップ」で歌っていた由。写真も載ってます。

バージニア・メイヨ死去

バージニア・メイヨさん(米ハリウッド女優)

 バージニア・メイヨさん(米ハリウッド女優)米紙ロサンゼルス・タイムズ電子版によると、17日、肺炎のため死去、84歳。コーラスガールから、大物プロデューサーのサミュエル・ゴールドウィンに認められて映画界入りし、1940年代にボブ・ホープ、ダニー・ケイの相手役を務めた。代表作に「姫君と海賊」(44年)「我等の生涯の最良の年」(46年)「虹を掴む男」(47年)「白熱」(49年)などがある。
http://www.sankei.co.jp/news/050119/dea015.htm

20年ぐらい前に買った「我等の生涯の最良の年」のスコア再録盤(輸入盤)LPを持ってます。当時、ラジオ番組で使った記憶があります。
この映画の存在を知って、見たい見たいと念じながら、もう30年近くたってしまったんですよね。
いまだその機会には恵まれまれておりません。死ぬまでにはぜひ見ておきたいと、そう思ってます。

2005年01月12日

ロックンロール ジェネレーション

今年に入りすでに40タイトル以上のCDを購入しています。最近では内容が分かっていて買うものが多くなりました。
今日も今日とて、8枚組CDをGet!
これを買ったのが、いつも店内でモダンジャズが流れてる例の『山下書店』渋谷南口店でした。
050112_01.jpgキープ株式会社輸入・販売の『ロックンロール ジェネレーション』。
1950年代・60年代初期の、ロックンロールの代表曲ばかりを160曲収めて、3980円だヨお客さん!
よく見ると「オリジナル、ライヴ、再録等を織り交ぜた良音質のコンピレーション」なんて書いてある。
あゝ・・・やっぱしネ。本屋のワゴンセールで売ってる980円のCDなんかにも、そういうのよくありますよ。
でもまぁ、選曲がマジメです。それに7枚目・8枚目はサンレコード特集。CDのおもて面にも、サンレコードのあのマークがでかでかと印刷されてます。
聞いてみると、なるほど1970〜80年代のステレオ再録(音はいいけど声が老けてる!)がけっこうあるものの、中には低迷期のジーン・ヴィンセントの再録とか、珍しいテイクもありーの、で・・・再録バージョンですら既に20年位前に持ってたりして、、、
ま、まァ、いいですよ。BGMがわりに部屋で聞くには、もってこいデショ。

¶postscript―*
3枚目の1曲目、ビル・へイリーと彼のコメッツ『ロック・アラウンド・ザ・クロック』はオリジナル録音なのですが、冒頭なぜか「one,two」なるカウントの声が入ってる。これは元々のマスター・テープに録音されていた音だと思うのですが、普通はリマスタリングの時にカットするんですけどね。初めて聞きました。ナゾです。
(2005年1月12日)

2005年01月10日

監獄ロック

プレスリーの『監獄ロック』が2005年1月9日付・全英シングルチャートで第1位となったようです。

[ロンドン 9日 ロイター] 9日発表の英ヒットチャートは、ロックの王様、故エルビス・プレスリーの「監獄ロック」が死後27年で首位に立った。
 1958年に英ヒットチャートで1位になった同曲は、プレスリーの生誕70年を記念して再リリースされた。
 ヘビーメタルバンド、アイアン・メイデンの結成25周年を記念して再リリースされた「ザ・ナンバー・オブ・ザ・ビースト」は3位に入った。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20050110-00000741-reu-ent

いろんな曲があるのになぜこの曲なのか、チトわかりません。
記念番組とか、そういうのの影響でしょうか。

野村不動産『Proud』のCMで使われているガーシュイン作の『誰かが私を見つめてる(やさしき伴侶を)』Someone To Watch Over Me(1926年)は、『涙のチャペル』に影響してるか?――というまたヒジョ〜ォにムヅカシい問題を考えてます。

葛飾は今日も雨だった

CD「二人のムラサキ東京」ポカスカジャン&ヒルタナユミと魅惑の東京サロンポカスカジャン&ヒルタナユミと魅惑の東京サロンの『二人のムラサキ東京』なるCDを買いました。
去年の夏に出ているようですね。知りませんでした。

『二人のムラサキ東京』はいかにものデュエット歌謡路線なのですが、カップリング曲が素晴らしくヨロシイ。
『葛飾は今日も雨だった』は69〜74年あたりの、ハイブロウなソフトロックを思わせる曲です。私の好みです。ふと『街の灯』みたいなメロもあったりします。
『浜松町で逢いましょう』は70年代中期ごろの雰囲気ですね。ブレイクのあとで思わず♪今はあなたしか見えないのォ〜♪と歌いそうになりました。

まだ買ってない人は早めに入手しておいたほうがいいでしょう。

2005年01月09日

ちゃぶ台

星、ちゃぶ台入寮 大学職員が探してきてくれた年代物

 巨人にドラフト6巡目で入団する「巨人の星」こと星孝典捕手(22)=東北学院大=が8日、川崎市内のジャイアンツ寮に「ちゃぶ台」を持参し、新人一番乗りで入寮した。 劇画「巨人の星」で主人公の星飛雄馬の父・一徹がひっくり返す「ちゃぶ台」。これまで「入寮の時に持っていこうかな…」と話していたが、本当にこの男は持ってきた。長方形でケヤキ製。「部屋のメーンに置きます」と笑った。
http://sports.yahoo.co.jp/hl?c=sports&d=20050109&a=20050109-00000022-sph-spo

丸いちゃぶ台という印象もあったので、絵を確認したら四角でした。

2005年01月08日

太陽とバラ

慎太郎「太陽の季節」モデル死去…「太陽族元祖会」会長

山本淳正さん71歳、裕次郎との思い出「友よ−」上梓
 東京都の石原慎太郎知事(72)=写真右=と故石原裕次郎さん(享年52歳)兄弟と親交があり、慎太郎知事の芥川賞受賞作『太陽の季節』の主人公のモデルとなった葉山町出身の実業家、山本淳正(やまもと・じゅんせい)さんが4日、心不全のため、死去していたことが分かった。71歳だった。太陽族元祖会の初代会長を務めたほか、展望レストランのオーナーになるなど典型的な「湘南ボーイ」として知られた山本さん。関係者が明かした素顔とは…。
 山本さんは昭和8年、湘南ボーイの代名詞ともいえる葉山町で、御用邸前にある同町唯一の高級旅館『かぎ屋』の子息として生まれた。
 全国的な有名進学校として知られる旧湘南中学(現湘南高校)から慶応義塾高校に転学。野球部ではサードで活躍、バスケットボール部で活躍していた裕次郎さんと知り合った。当時、2人の交友関係などを、大人のモラルに反する若者群像ととして、慎太郎氏は乾いた文体で『太陽の季節』を描写した。
 小説の中で、スポーツ好きで、異性交遊の熱心な“ラブハンター”として描かれた主人公のモデルが山本氏だった。性に関する話がオープンでなかった当時、男根で障子を破るシーンが描かれ、大きな話題となった。
http://www.zakzak.co.jp/gei/2005_01/g2005010802.html

戦後10年足らずの時点でかなりの貧富の差が出来ていたということと、昭和30〜40年代のマスコミ・芸能関係は、いいとこの坊ちゃんたちがリードしてきた、という事実。そういうことがありますねぇ。
1956年松竹大船作品『太陽とバラ』(木下恵介監督)は、アンチ太陽族の映画でした。バラといっても薔薇族とは少なくとも内容的にはカンケーありません(笑)

2005年01月05日

ジョニー・エンジェル

ホンダはLIFEのCMで竹内まりやの「ジョニー・エンジェル」を流してましたが、LIFE系列の新車種DIVA(ディーバ)では違うアーティストの「ジョニー・エンジェル」を使ってます。
誰なんでしょうね?
http://www.honda.co.jp/LIFE/addgallery/spark-b.html

2005年01月03日

織り込みソングのその後

芸能文化音楽速報@2ch掲示板
http://music4.2ch.net/musicnews/
に、以下のスレが立ちました。
キャロル・キングだの、ゲーリー・ゴーフィンだのと、若い人が書くのですから不思議な光景です。
紅白は他国でも放送されるので、クレームへの対策が必要と考えたのでしょうか。

【芸能】スターダスト所属、オレンジレンジが犯罪を揉み消し

1 名前:読者の声 04/12/31 23:51:25 ID:Wg1D9N+g
今年6月にシングル「ロコローション」を発売したオレンジレンジ。
シングルの発売以降、同楽曲について盗作疑惑が相次いで話題に。
この影響を受けてか、12月に発売したアルバム「musiQ」の歌詞カードには、 作詞・作曲“オレンジレンジ”から“キャロル・キング”“ジェリー・ゴフィン”のクレジットに変更され、
年末のNHK紅白歌合戦でもキャロル・キング氏のクレジットで紹介された。
シングル 2004/06/09発売
http://music.www.infoseek.co.jp/song/00546274001001001000/
アルバム 2004/12/01発売
http://music.www.infoseek.co.jp/song/00572643001001003000/
オレンジレンジが事務契約を置いている大手プロダクション「スターダストプロ」は盗作疑惑について全面否定するつもりのようだ。
スターダストは以前にもゲイビデオに出演していた仮面ライダーのスキャンダル揉み消しがあったばかり。
ここ2〜3年で柴咲コウ、山田孝幸、市原隼人の3人を筆頭に、柳楽優弥カンヌ最年少で受賞、
テレビ版「ウォーターボーイズ」(03&04年)、「世界の中心で、愛をさけぶ」(04年)、
「H2」(05年1月放送開始)など、過去のヒット作をドラマ化したり、
戦隊モノ、仮面ライダー、ウルトラマンといった特撮ヒーロー枠を総ナメ。
今まで無名に近かった会社が、柴咲コウの「RUI」をキッカケに、激しく図に乗っているのです。
このまま権力を盾にして悪行を揉み消しにしてる悪徳事務所「スターダスト」を野放しにしてもいいのでしょうか?
 

¶postscript―*

人気ORANGE RANGE「ロコローション」

そっと変更された「作詞・作曲」
(中略)
 実は、このことは2ちゃんねるでも話題になり、中高校生らが次々と〃盗作〃を告発するスレッドを立ち上げた。東北地方に住む高校生(17)は言う。
「キャロル・キングと英国のガールズ・ユニット、シャンプーが94年に世界的にヒットさせたデビュー・シングル『Trouble』を合わせると、オレンジレンジの曲になるんです。こんなの、許されるんでしょうか」
(中略)
 こうした指摘に対し、ソニー側は、
「今回は適正に権利処理がされなかったのは確か。経緯を公表する予定はありません」(ソニー・ミュージック広報)という。
(以下略)
<ヨミウリウイークリー2月27日号84ページより引用>

新聞社系雑誌がちょっと前の2chネタ。
『Trouble』からのパクリ度は知りませんが、『ロコモーション』に関しては、モダンジャズで童謡のメロディを引用するような、そんな程度の明確なるシャレの範疇だと、私は思ってます。

cf. アンチ オレンジレンジまとめ
http://www.noahs.jp/~antiorange/

(2005年2月14日)

2005年01月01日

012 おじさまとデイト

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シングル「おじさまとデイト」中尾ミエ作詞:荒木光子、作編曲:吉田正。歌:中尾ミエ。発売:1963(昭和38)年6月、ビクター。

 先日、名匠スタンリー・ドーネン監督の『アバンチュール・イン・リオ (Blame It on Rio)』(1984年米)というコメディ映画をテレビの深夜劇場で見ました。年ごろの娘ジェニファー(ミシェル・ジョンソン)が父親の親友マシュー(マイケル・ケイン)に熱を上げて大騒ぎというストーリーです。
 高校生ぐらいの娘のなかには、頼りない同級生に飽き足らず、父親のような歳の男性に憧れる、そういう種類の子がいるらしいんですな。日本にもいるでしょう、そういうのは。
 男の子でも希に「愛があれば歳の差なんて」という熟女嗜好(マザコンの変形?)が見受けられますが、女の子の場合に較べりゃマァそっちは少数派でしょう。

 歳の差恋愛・歳の差結婚でも両者成人の場合は何の問題もないわけです。“おいらくの恋”と冷やかされるとか、せいぜい遺産相続でモメるとか、その程度ですよ。
 ところが女の子が未成年、しかもローティーンだとこれはちょっと大変なことになります。
 1924年16才の少女と結婚したチャールズ・チャップリン、1958年14歳の従妹(いとこ)と結婚したジェリー・リー・ルイス、そうしたロリコン男(チッキン・ホーク=少女好き)のスキャンダルが今も引き合いに出されることがあります。
 ロリコンという言葉の出典がウラジミール・ナボコフの小説『ロリータ(Lolita)』であることはよく知られてます。これは中年男が少女(12歳半)に心奪われ最後には破滅するという話で、その文体・表現の美しさとは裏腹に、描かれる世界は耽美主義・悪魔主義・異端文学・暗黒小説といった範疇に入れられるべきものでした。
 ナボコフ自身の脚色、スタンリー・キューブリックの演出による1962年の映画化、エンニオ・モリコーネが音楽を担当した1997年の再映画化をはじめ、亜流もしくはイメージの流用はおびただしい数にのぼり、70〜80年代にかけていわゆるロリータ物が氾濫した観がありました。

エロチックロリータ[DAISYDAISY ロリータのための映画・小説情報]
http://homepage1.nifty.com/daisydaisy/cinema/ero.html

 少女愛を“昇華”させた実例もあります。『不思議の国のアリス』の作者ルイス・キャロルは今も世界的に尊敬されておりますが、成熟した女性より少女のほうが好きだったようです。保守的な大学の学寮で生涯の大半を過ごしたという、中世の修道士みたいな生活がなにか影響していたのでしょうか。
 少女の側の中年男性への憧れと、オジサン側の少女愛という、それぞれ位相の異なるベクトルが、何の因果かぴったりと相対したとき、日常の均衡は崩れ二人は危うい綱渡りを強いられることになるようです。
 敗戦までは16歳くらいでお嫁に行くなんてことは、日本の農村なんかではさして珍しくありませんでした。しかし戦後は変わりました。法律的にはぎりぎりセーフ、でも世間体が…という歳の差恋愛・歳の差結婚がふたたびクローズアップされるようになったのは、1970年のことです。
本村三四子原作、岡崎友紀主演、大映テレビ室・TBS制作の連続テレビドラマ『おくさまは18歳』(すでに結婚している高校教師と女生徒がそれを隠そうとするコメディ)、
富島健夫原作、関根恵子主演の大映映画『おさな妻』(こちらは17歳の女子高生と31歳の子持ち男のシリアスな話)
の2作品が話題となり、それぞれ映画化・テレビドラマ化もされました。1993年の連続テレビドラマ『高校教師』はそうした作品をやはり踏まえた上で企画として成立したのではないかという気がします。
 歌ではどうでしょうか。
 ――ということでやっと今回の“私をつくった”一枚の話になるわけですが。

 中尾ミエの『おじさまとデイト』。ご本人も忘れているでしょう。少なくともレパートリーからは外されております。
 この歌は月刊『平凡』の歌詞募集の当選作品でした。テーマとしては『アバンチュール・イン・リオ』の女の子の気持でしょうか。時代的にはこのテーマを歌にするのはちょっと早過ぎたかもしれませんね。
 やさしく抱かれ踊っていたいとか、ホッペにキッスしてとかいう件(くだり)に出くわすと、歌の主人公の少女と「おじさま」なる人物の関係は、伯父さまでも叔父さまでもなく、赤の他人の小父さま(即ち買物ブギで連呼される「オッサン」)なのではないか、と察せられるのです。
 しかもこの「おじさま」、車寅次郎のような貧乏人ではなく、スポーツカーでナイトクラブへ連れて行ってくれるリッチマンという設定。ますます以て怪しい関係です。
 まァこのへんが歌としては限界でしょう。これ以上行くとドラマが始まってしまう。パトロンであるとかダンナであるとか債権者であるとか、カネと色と欲の織りなすドロドロの世界、今で云えば援助交際、少女買春、果ては人身売買なんてとこまで行ってしまう。だから話としてはここで寸止めということです。
サンプル盤「花と小父さん」畠田理恵 秘すれば花、ということがあります。作詞曲:浜口庫之助、歌:伊東きよ子の『花と小父さん』はメルヘンチックなフォークソングでした。でもこの歌、ある種の童話やわらべ歌のように、本当は恐ろしい裏の意味を持っている?、、、のかもしれません。
 歌の主人公が一人称の“僕”でイコール「小父さん」なのですが、なぜか歌うのは女性とか男性の場合はボーカルグループ。そういやずっと後の大久保清あたりも自分のことを「ボク」と言ってましたっけね。自分を「僕」と称するオジサンを、あなたはどう思います?
 ちなみに1990年、フジテレビ『男と女のミステリー』でドラマ化(タイトルは『花とおじさん』)された時、主題歌であるこの歌をうたっていたのは、出演もした畠田理恵(1996年3月、将棋の羽生善治と結婚)でした。

シングル「おじさま、いや?」黒澤良、麻里エチコ 1997年にリリースされたオムニバスCD『幻の名盤解放歌集*大映レコード蒸発編』には黒沢良、麻里エチコの『おじさま、いや?』という楽曲が収録されていました。
 この曲は1969年に大映レコードから発売されたもので、『おじさまとデイト』と同主旨ながら、女の子の側の迫り方が格段にヒートアップしております。
 同じ60年代でありながらこの違い、まさに“this is 60年代”とはこのことで、私が一貫して唱えている「60年代とは変化の異名(いみょう)なり」を如実に指し示している好例と申せましょう。

シングル「東京娘」桜たまこ 桜たまこの『東京娘』(1976年)・『おじさんルンバ』(1977年)は、少女からオジサンへの熱烈なラブコールの歌でしたね。『おじさまとデイト』から13年、ようやくストレートに表現されるようになりました。情熱と野心を秘めた少女の猛烈アタックに、オジサンもさぞやタジタジかと思いきや、オジサン側のリアクションが見えてこず、なにやら一抹の不安が生じてくるのです。
 つまり映画『赤線地帯』のラストシーンのように、これは不特定多数のオジサンに対する呼びかけ、メッセージではないか……彼女らは消費社会にあって物欲・消費の欲望を我慢しきれず、手っ取り早くオジサンから毟り取ろうとしているのではないか……
 あるいはそうかもしれない。そうでないかもしれない。かくいう私も恋愛はあまり研究してないので何とも言えません。
 やはり、少女からのアプローチをオジサンが斥(しりぞ)けるというセンが、流行歌としても世の中の常識としても、無難でヨロシンじゃないですか?

 さて、『おじさまとデイト』に関して私は、その異色の歌詞もさることながら“消化不良の和製ポップス”というテイストに大いに魅力を感じているのです。
 言ッチャァなんですが外国音楽に影響され続けてきた日本の流行歌・歌謡曲・和製ポップス・J-POPの、それはアクのようなものでして、いつの時代でも常に、路傍に咲く名もない花のように、好事家のオジサンに見つけられるのをひっそりと待っているのです。
 私は1975年当時、こうしたテイストを勝手に【綺麗さびのエロス】などと名づけ、いろんな人に、面白いでしょう? ね? ね?……と言ってまわりましたが、ほとんど病的なマニアとしか思われませんでした。私ごときがマニアじゃ本当のマニアの人に失礼ですよねぇ。

 この『おじさまとデイト』はマッシュポテトとかプリーズ・ミスター・ポストマンみたいなビートの効いたミディアム・テンポでありながら、アフタービートでなく頭打ち。むしろラテンのチャチャチャに近い気がします。
 作・編曲の吉田正といえばジョージ・シアリング的なタッチで都会派歌謡を確立した人。のちに橋幸夫のポップス歌謡で若い人にも大いにアピールしましたが、1963年当時はまだ“テーンエイジ・ポップスとどう向き合うか”という考えがまとまっていなかったようです。個人的にはこのころが吉田作品のオイシイ時代だと思ってます。
 翌1964年、吉田正は『おじさまとデイト』で試したスタイルを吉永小百合の映画主題歌『こんにちわ20才』で再び使ってますが、さすがにその時はずっと洗練されたものに仕上がっておりました。
(2004年11月30日)

¶postscript―*
今日の『徹子の部屋』で、伊東ゆかり、中尾ミエ、園まりの3人が揃ってゲストで登場してました。園まりも本調子で、2005年に予定されている3人娘復活コンサートの出来が期待されます。
(2004年11月30日)

¶postscript―*
B級GSザ・フレッシュメンの『お花おばさん』という歌があります。この曲で若い「僕」が求愛してるのは「お花おばさん」ではなく、その「かわいい娘」さんの方でした。
ハハハ、そりゃそうだ。つまり女のコの母親に対して、娘さんをクダサイって言ってる歌ですね。
ところで「お花おばさん」とはどういう人なのでしょう。プロフィールが不明です。私が想像するに、南方戦線で夫が戦死、花屋に住み込みで奉公し、納入先のダンスホールで知り合った男と出来てしまい、子どもを授かるも結局別れて、暖簾分けしてもらった小さな花屋を経営。女手ひとつで一人娘を育て上げたわりにはその苦労を見た目に感じさせない、ちょっと渡辺美佐子似の都会派のおばさんではないかと思うのです。
それで娘についても歌詞では具体的に言及されてません。
私が想像するに・・・(以下略)
(2005年1月15日)