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009 ふりむかないで

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シングル「ふりむかないで」ザ・ピーナッツ 作詞:岩谷時子、作曲・編曲:宮川泰(ひろし)。歌:ザ・ピーナッツ。発売:1962(昭和37)年2月、キング。
 当時、日本で流行っていた「リトル・ダーリン」「ダイアナ」「おお!キャロル」といったロッカルンバの曲調に、これまた多かったウォーウォーイェーイェーヤーヤーシャラララポンシュポンポンといった類の、スキャットとも囃子詞(はやしことば)ともつかぬコーラスを乗せた、いかにもあの時代らしい、和製ポップスの名曲です。
(レコードの品番も歌謡曲ではなくローカル盤の扱いでした。ちなみに国際卓球連盟〔ITTF〕会長の名はアダム・「シャララ」、東ティモール民主共和国の初代大統領は「シャナナ」・グスマンです。どっちもかっこいい名前だなァ〜)

 冒頭、詞では
  「Yeh,Yeh,Yeh,Yeh,
    〃 〃 〃 〃 」
とだけあるのを、あのようにノビノビとまた明るく展開したところ、そして歌い出しで詞ではただ単に「ふりむかないで」とあるのを、♪ふ・り・む・か、なッハッハ、ァヒィでぇー♪と符割りしたところに作曲家の非凡な才能が発揮されておりますが、かてて加えて岩谷時子の詞がまた素晴らしくチャーミングで、ヤローの作詞家センセー方にはおよそ考えも及ばぬような女の子のハートの機微が、生き生きとした言葉で「語られて」おるのでありまして、そうしたことがテーンネイジ・ポップスとしてのこの歌に、輝きと奥行きを与えているのだ、と愚考するものであります。
シングル「サマー・クリエーション」ジョーン・シェパード(ああ、それとプレスリーの「ホホォミークロース」とか、バディ・ホリーの「マイペーギースウッフッウ」のような、かつてのロックンローラー達の、いわゆるヒーカップ〔しゃっくり〕唱法の影響もうかがえますね。
それから、千昌夫の元細君ジョーン・シェパードの1971年ヒット曲『サマー・クリエーション』(マックスファクターCMソング=写真右)のイントロは、上記「Yeh,Yeh,Yeh,Yeh」のメロディーにクリソツですが、ありゃ果たして偶然でしょうか? レコードに編曲者のクレジットはなく、作詞ドン・ポムス、作曲ハル・ワトキンスとだけあります。ホントにジンガイですかね?)

 ピーナッツと申しますと映画好きの私としましては、東宝社長シリーズでアメリカより帰国した森繁社長がバーテンダーに「ザ・ピーナッツ」とおつまみを注文するシーンがまず思い浮かびます。もちろんピーナッツの二人を念頭に置いたセリフです。
 そしてもうひとつ、1962年、文芸プロダクションにんじんくらぶ製作=松竹配給『裸体』――これは永井荷風の原作を1962年の時代設定に翻案したシャシンで、成沢昌茂の第1回監督作品なのですが、この映画の中で主演の瑳峨三智子が
 ♪ふ・り・む・か、なッハッハ、ァヒィでぇ〜♪
と鼻歌をうたう場面が一度ならず二度までも出てくるのです。ま、それはストーリーとは関係ないんですが、これがなかなかセクシーで、私などはグッときちゃいます。

 映画で忘れてならないのが、ロカビリーマダムこと渡辺プロの渡辺美佐をモデルにし、実際にあった移籍騒動に取材している1960年の大映映画『女は抵抗する』ですね。そのラスト近くでザ・ピーナッツが“有望な双子歌手”として若尾文子演じる主人公にスカウトされる場面が出てきます。
 実際には二人のデビューは、ドラマーのジミー竹内が、名古屋のレストラン『ザンビ』で歌っていた「伊藤シスターズ」こと伊藤日出代・月子姉妹を知って、1958年に渡辺晋に紹介したことがきっかけでした。その後、伊藤姉妹は品川区上大崎の渡辺家に住み込む形でレッスンを受けるようになります。レッスンをしたのは当時シックス・ジョーズのピアニストだった宮川泰で、ビブラートをしない独特のハーモニーは、宮川のレッスンと地方巡業(主にシックス・ジョーズのコンサート)での実戦で磨かれていったそうです。(ノー・ビブラート唱法では北原謙二が有名ですね)

 伊藤日出代・月子が伊藤ユミ・エミのザ・ピーナッツとして正式デビューしたのは1959年2月の『第二回日劇コーラスパレード』でのこと。ザ・ピーナッツの命名者は日本テレビのプロデューサー井原忠高だったといいます。以降の活躍はミナサマよくご存じの通りですね。

シングル「東京たそがれ」ザ・ピーナッツ さて、この『ふりむかないで』には続編らしきものが存在します。『東京たそがれ』(=ウナ・セラ・ディ東京 写真左)のB面曲『こっちを向いて』がそれです(1963年11月発売)。
 作曲・編曲は同じく宮川泰が担当していますが、作詞は秋元近史となっております。この人は当時日本テレビのディレクターで、あの『シャボン玉ホリデー』の生みの親。渡辺美佐の華麗なる人脈の中でもひときわ渡辺プロに近く、そうした関係でオイシいB面曲の作詞を担当することになったと推測されます。
シングル「ウナ・セラ・ディ東京」カテリーナ・ヴァレンテ そしてこの歌は、渡辺晋が興行界の大立者・永田貞雄と共同で招聘したカテリーナ・ヴァレンテが『ウナ・セラ・ディ東京』の日本語盤(写真右)を録音をする際に一緒に吹き込み、やはりそのB面として東京五輪の年に発売されております。
 さらに宮川泰には類似の曲調で『聞いちゃった!歌っちゃった!泣いちゃった!』という、日本版『すてきな16才』とも云うべき、この上なくチャ・チャ・チャーミングな歌(作詞:安井かずみ)があります。こちらは1964年にナベプロ3人娘の競作盤として発売されたため、ピーナッツは歌っていないようです。所属レコード会社が違うナベプロ3人娘が同時に同じ歌をリリースするというところに、当時の渡辺プロの隆盛ぶりがよく表れております。

LP「キャンディー・レーベル」キャンディーズ さて、渡辺プロといえばキャンディーズというこれまた人気のグループがおりました。そのキャンディーズの1977年のアルバム『キャンディー・レーベル』(写真左)は、B面がピーナッツのカバー集で、『ふりむかないで』と『こっちを向いて』も含まれておりました。当時このバージョンを聞いて、歌の持つ時代性を洗い落としてしまったような出来に、いささか物足りなさを感じた記憶があります。
シングル「ピーナツ・ピーナツ」キャンティ そこへいくと、1981年にキングレコードがリリースしたピーナッツ楽曲のフックトオン物(メドレー)『ピーナツ・ピーナツ』(写真右)からはリスペクトが感じられました。渡辺美佐も常連だった「キャンティ」というイタリア料理店の名を拝借した女の子2人組による企画物で、『ふりむかないで』を含む全9曲を、ザ・ピーナッツそっくりに歌っておりました。

 1983年『シオノギ・ミュージック・フェア'83』のザ・ピーナッツ特集で『ふりむかないで』を歌ったのは、時のアイドル松田聖子と河合奈保子でした。番組では宮川泰が「ピーナッツの歌った一番かわいらしい歌」としてイントロデュースしておりました。この時、松田聖子と河合奈保子が行った“振り付け”が、ピーナッツが歌う時に行った(かもしれない)振りなのかどうか、以来20年以上も気になって夜も眠れない状態なのです。私は悲しいかな、1962年当時、ピーナッツがこの歌をうたっているところを一度も見ておりません。どなたかご存じならぜひ教えていただきたく存じます。

 キャンディーズもピーナッツも“引退”という形で渡辺プロを離れましたが、ピーナッツの二人は芸能活動を完全に停止し、マスコミに顔を出すことすらありませんでした。おそらく今後ともないでしょう。彼女たちの現役時代と同じ時代を生きたことはかなりラッキーだったナー、との思いをますます深める昨今です。
(2003年5月30日)

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木村屋總本店の菓子パン『ふんわりサンド ザ・ピーナッツ』126円。
粒入りピーナッツクリームを挟んだサンドイッチです。
スーパーで見つけちゃいました(笑)。
(2004年10月31日)

 

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「恋のバカンス」「宇宙戦艦ヤマト」宮川泰氏死去

 「ウナ・セラ・ディ東京」「宇宙戦艦ヤマト」など数多くのヒット曲を手がけた作曲家の宮川泰(みやがわ・ひろし)氏が21日午前、虚血性心不全のため東京都世田谷区上馬5の30の2の自宅で亡くなっているのが見つかった。75歳だった。
(中略)
 大阪学芸大(現・大阪教育大)時代からピアニストとして活動。中退後、ジャズの平岡精二クインテットなどを経て作曲家に転身し、1962年にザ・ピーナッツが歌った「ふりむかないで」で注目された。63年、「恋のバカンス」でレコード大賞編曲賞、翌年には「ウナ・セラ・ディ東京」で同作曲賞に輝き、ザ・ピーナッツとのコンビで売れっ子となった。
 その後も梓みちよ、小柳ルミ子、沢田研二さんらに作品を提供。東宝の「無責任」シリーズを始めとする映画やミュージカルなどの音楽を手がけた。中でもアニメ「宇宙戦艦ヤマト」のテーマ曲は人気を集めた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060321-00000312-yom-ent

すばらしいキャリアがあるのに、ぜんぜんエラぶらず、むしろ人を笑わせようとする、いそうでなかなかいないタイプの人でした。
一作曲家の枠にとどまらず、あの所得倍増時代・高度経済成長時代のムードメイカーの役割を果たした、その功績は大きいですね。
(2006年3月21日)

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2006年5月26日・27日の2夜にわたって、フジテレビで金曜エンタテイメント2夜連続SPドラマ『ザ・ヒットパレード 芸能界を変えた男・渡辺晋物語』前・後編が放送されました。
このドラマでザ・ピーナッツを演じたのは安倍なつみ(伊藤日出代)と安倍麻美(伊藤月子)。
27日放送の、渡辺社長宅で行われたパーティーのシーンで、2人が『ふりむかないで』を歌っておりました。

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その振り付けは、1962年東宝『私と私』で、ピーナッツが『ふりむかないで』を歌うときにやっている振りとほぼ同じで、おそらくそれがオリジナルの振り付けなのでしょう。
(2006年5月27日)

¶postscript―*

1994年6月13日放送のNHK『ふたりのビッグショー 坂本冬美・藤あや子 〜復活!ザ・ピーナッツ〜』で、坂本冬美・藤あや子の二人が宮川泰のバンド指揮で『ふりむかないで』を歌いました。
(2006年8月21日)

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